野母崎地区地域おこし協力隊・かいかいジャーニー

土井首で生まれ育った僕の家族は、週末になると僕たち兄弟を必ずどこかへ連れ出した。そのほとんどが深堀のエレナで、磯道のダイエーで、戸町のユニクロ。遊びたい盛りの子どもにとって、『大人の買い物に付き合う』というのは退屈で、お店の中を走っては怒られていた。

けれども、そんなお出かけにも当たりの日があった。

「今日は、海の健康村に行こうか」

「田の子に遊びに行く?」

流行りのゲームにあまり惹かれなかった僕にとって、それは魔法の言葉だった。たちまち気分が高揚して、家に帰って日記の宿題に書きしたためる。それから先生が花丸をつけてくれて、「よかったね」と返事をくれる。そんな週末を過ごしてきたからか、すっかり外出が好きになってしまった。

今でもあの頃の思い出が色褪せないので、地元以外の友だちと南部を巡るたびに「ここは小さい頃にね…」なんて、もれなく当時のエピソードを添えて推薦してしまう。僕は「おかえり」と同じくらい、「ようこそ」と声をかけたがる、スーパーおせっかいなのだ。


2022年には3年ぶりとなった五歌祭が開催され、その後はティラノサウルス科の化石が発掘されるなど、話題が絶えない野母崎地区。そんな勢いのある、長崎市最南端のまちへ赴いた。

水仙のまち、野母崎の妖精が住まう場所へ

「よろしくお願いしまーす」

国道499号線の終着点に位置するゲストハウス・番屋。野母崎地区の非公式キャラクター・水仙マンの秘密基地としても親しまれている場所で僕たちを迎えてくれたのは、真っ赤なパーカーを身に纏った青年。2023年2月に野母崎地区地域おこし協力隊に就任したばかりの彼こそが、僕が取材を申し入れたかいかいジャーニー(本名:斉藤開)その人だった。

野母崎地区地域おこし協力隊・かいかいジャーニー

旅人になるなんて思いもしなかった

——かいかいくん本人や、のもざきぐらむのInstagramを見るしか情報を集められなかったので、今日は根掘り葉掘り聞かせてもらえたらと思っていて……まずは、簡単な自己紹介をお願いできますか。

かいかい:かいかいジャーニー、北海道北斗市出身の24歳です。地元から赤カートを引きながら日本一周をする中で野母崎に辿り着いて、そのまま地域おこし協力隊として移住することになりました。かいかいジャーニーという名前は、自分の名前と、大好きなクレイジージャーニー(TBS)を繋げたものです。

——Instagramでの発信を見る限りは、THE・旅の人。そんなイメージだけど、昔から旅が好きだった?

かいかい:いえ、そういうわけではないです。高校生までは「絶対に日本から出るもんか」くらいに思ってました。旅に出るようになったのは、大学生になってからですね。周りの人たちが海外へ行く姿を見て、行くなら今しかないなと。それから、東南アジア5カ国を旅したりしました。

——就職の道を選ばずに卒業して、旅を続けようと思ったきっかけはあったのかな。

かいかい:友だちから誘われたことが一番ですね。それから車で北海道を一周しました。その旅が終わる頃に「やめよう」と言われてしまったので、「じゃあ歩いて日本一周しよう」と。そう決心したのが2021年の8月でした。当時は「いずれ世界を巡りたい」と思っていたので、その準備も兼ねて。

——外へ出ていく思考がなかった高校時代とは、がらりと変わったんだね。日本一周といえば聞こえはいいけど、寝床の確保やお金の工面はどうやってたんだろう……。

かいかい:割合でいうと、95%は野宿でした。残りの5%は、台風のときにホテルに泊まったり、出逢った方のご厚意で寝床を準備してもらったり。大学時代のバイト代でやりくりしていたけど、それにも限界があるので。新潟ではスキー場でのバイトも経験しましたね。

かわいい。非公式キャラクターと肩を並べる存在に?

恐竜パークで野宿を試みた結果、所長にバレる

——長崎に来たことで日本を横断した形になると思うけど、野母崎との出逢いは覚えてますか。

かいかい:恐竜パークで野宿しようかなと思って、風を防げる場所を探してたんです。博物館の周りをぐるっと一周して、ちょうどいい場所でテントを張ろうかなと思ったところで声をかけられて……それが安達さん(長崎のもざき恐竜パーク所長)でした。

——所長に見つかってしまったのか……!

かいかい:「あー、絶対怒られる」と思いましたね(笑)。でも全然そんなことはなくて、「何やってんのー?」って。そのまま夜の恐竜博物館を案内してくれたんです。

——なんて贅沢な時間! 羨ましい。

かいかい:その後も、壊れていた赤カートを直してくれる人を紹介してくれたり、温泉に連れて行ってくれたり、至れり尽くせりでした。その日の宿泊先として僕を迎えてくれたのがここ(番屋)だったんです。

——おもてなしがすごい。だけど、日本一周してたらそういう出来事って割とあるんじゃないかと思ってしまう……これって先入観なのかな。

かいかい:訪れたまちで、自分から積極的にコミュニケーションを取る人ならあるかもしれないですね。でも、僕は自分からコミュニケーションを取れるような性格じゃないので、基本的には話しかけられなければ素通りって感じだったんです。お世辞にも綺麗な格好ではないし、いきなり話しかけると引かれると思っちゃう(笑)。

——そう言われるとそうだね(笑)。たしかに、僕も同じ立場ならそうしたかもしれない。

かいかい:だからこそ、特別な瞬間でした。館長が直々にナイトミュージアムを案内してくれたことも、番屋で楓太くん(水仙マンのマネージャー)と出逢ったことも。何かがひとつでもズレていたら、僕はいま野母崎にいなかった。

寝床を探していた、かいかいジャーニー(再現)
かいかい「ここが最も風を防げる場所でした」

訪れた人を掴まえて離さない節があるまち・長崎

——地域おこし協力隊について、真剣に考えるようになったのはいつから?

かいかい:公募されているという話を聞いたのは、野母崎に滞在してから10日くらい経った頃だったと思います。そのタイミングで前々任の地域おこし協力隊をされていた方が営まれているきまま焙煎所にお邪魔したんですけど、たまたま前任の方もいらっしゃって……2人が話す野母崎の魅力もそうだし、安達さんもお話しが上手いんで(笑)。

——口説かれちゃったんだ(笑)。

かいかい:そこまで迷いはなかったし、いま思えば、安達さんや楓太くんが『野母崎や南部を盛り上げたい』と動いている流れの中で良かったなと思いますね。

——出島にBOOKSライデンという本屋さんがあるんだけど、店主の前田さんも関西から移住してきたんだよね。『どこで本屋さんを開くか』という候補地のひとつが長崎だったんだけど、視察で来たときのゲストハウスの方からこまめに連絡をもらってたとか……長崎の人って、そういうおせっかいなところがあるのかもしれないね。

かいかい僕、長崎に来てからご飯に一銭も使ってないですもん。地域おこし協力隊になったこともそうですけど、初めて野母崎に来た日からずっとお世話になっているので、僕なりに返していきたいんです。

——おそらくだけど、「恩は返さなくていい」と言ってくれるんじゃないかな……?

かいかい:そうなんですよ。

——僕もよく「そんなのいいから、ほかの人にしてあげな」って言われてきたし、自分自身が誰かの後押しをしたときも同じ気持ちかも。恩って、返すものじゃなくて巡るものなのかもしれないね。

かいかい:いま以上に、それが繋がっていくまちにしていきたいですね。

想像していたよりもずっと落ち着いた青年でした。

生命が繋がり、恩がめぐるまちへ

——いよいよ地域おこし協力隊としての任期がスタートしたけれど、活動内容は見えてきてますか。

かいかい:野母崎の方たちからお願いされたのは、害獣駆除ですね。このあたりは猪が多くて、畑を荒らされることも日常茶飯事なので。狩猟をしている人たちの高齢化も顕著で、実情は駆除したあとに捨てるだけ。免許を取るところからスタートになるんですけど、僕は生命をいただくところまでできるといいなと思ってます。

——こっちは多いよね。動物も、畑も。

かいかい:同時に畑の開拓もしようと草刈りを始めたんですけど、農作における害獣対策の在り方も見直したいんです。日本を南下するたびに見かけた金網を見て、美しくないなと感じてました。コスパを考えて行き着いた答えが金網なのかもしれないけど、竹を使った対策ができないかなと……。

——竹、ですか。

かいかい:竹を寝せることで猪が近寄らなくなる『竹マルチ』という事例があるらしいんです。野母崎は整備されていない竹林もありますし、そういった場所が猪の住処にもなると聞きました。竹林も整備されて、畑にも猪が寄ってこない。これが成功すれば金網を立てる必要がなくなるので、ありのままの風景を残すこともできるかもしれないと思ってます。

——最後にひとつ。名刺に書いてある『Jorney House』というのは……?

かいかい:野母崎を訪れた方をおもてなしするゲストハウスです。ごはんや宿泊費はいただかず、野母崎を案内する場所として準備を進めていく予定です。僕が野母崎で受けてきたあたたかいおもてなしを、これから野母崎を訪れるであろう、新しい旅人のみなさんに届けていきたいと思っています。

開拓中の畑に案内してくれるかいかいジャーニーの背中。
昔は観光バスが訪れるほどの芋掘りスポットだったとか。
草刈りが終わったところを見せてくれました。えっへん!

わずか数ヶ月で野母崎のまちに溶け込み、満を持してスタートを切った野母崎地区地域おこし協力隊・かいかいジャーニーの物語。「このまちで家族ができて、ずっと暮らしてもいいなと思っています」とまで言わしめた野母崎の最大の魅力は、太古のロマンでも、雄大な自然でもなく、おもてなしの心だった。

取材の最後に、開拓中の畑を案内してくれた彼を見て思う。

「ようこそ」と言われたのは、僕の方なのかもしれない。


すっかり野母崎の人ですね。
たのしい話でわくわくが止まりませんでした。
「まだまだこれからです」と意気込むかいかいジャーニー。
あのとき安達さんに怒られなくてよかった。
野母崎を初めて訪れた日も、故郷を思わせるGLAYな曇り空でした。

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長野 大生

長野 大生

Nambu Wave 編集長

1994年・土井首生まれ。瓊浦高校卒業。会社員として働く傍ら、長崎市を拠点にWebメディアや刊行誌の執筆を手掛ける。2021年には「長崎を舞台にショートショート塾」(長崎伝習所塾)を企画し、塾生とともにショートショートアンソロジー『道に落ちていたカステラ』を発行。2023年現在、ひとり出版社・移動書店「しっぽ文庫」を小さく営んでいます。

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