会社員・野田 葉月 / 歌手・Sachi

独り立ちを目指してこの職場で働きはじめて2年少々。その間に、会社員としても物書きとしても成長させてもらったけど「よっしゃ〜〜独立するぞ〜〜〜!」とはならなかった。

理由を言葉にするのは難しいけど、僕は多分「そっち側」じゃない。

Instagramより

さかのぼること10ヶ月、転職を2日後に控えた僕はこんな言葉を綴っていた。

転職前の僕は妻と長男の3人家族で、長崎へのUターンを機にライターの仕事を受けはじめた。最初こそ簡単なリライトだったけれど、少しずつ書く機会が増えたことで「いずれは独立」という考えが頭を過(よぎ)り、その思いは日に日に強くなっていくことになる。

けれども、それに待ったをかけたのは父親としての僕だった……と言うのも、長男の成長とともに手狭になった軽トールワゴンと1LDKの部屋に別れを告げ、人生で1番目と2番目に大きな買い物をしたからだ。

おまけに「いまだ!」と言わんばかりのタイミングで次男の妊娠が判明し、「共働き・子ども一人・賃貸暮らし」から「育休中の妻・子ども二人・ローンと共にある暮らし」への転機を迎えることになる。これがすべてではないけれど、僕が独立を選ばなかった理由のひとつだ。

分かってはいたけれど、人生は思い描いた通りに進むほど簡単じゃない。

みんなだいすき、脇岬海水浴場。

「当時はいろんなところに借金をして、とにかく店をつくりました」

「夢を追いかける私の隣には、ずっと彼がいてくれたんです」

苦汁を嘗め、大きな犠牲を払いながらも成功を収めてきた人たちの物語は、紛うことなく美しい。テレビや書籍などを通して賞賛されてきた努力や苦労の数々は、ときに多くの人に夢を与え、ときに誰かの背中をそっと押してくれるだろう。僕もその一人だ。

一方で、その決断ができない自分にも気づいていた。あいにく僕には、寝る間を惜しんで働きつづける覚悟も、明日の見えない暮らしを家族に強いる勇気もない。

だとすると、そんな覚悟や勇気を持てない人たちにとって「夢を追う」ことは許されないのだろうか? 卒業や就職、結婚や出産といった人生の岐路に立った時点で、その希望は諦めるしかないのだろうか?

本をつくったり、移動書店を開きたい。書く楽しさを子どもたちに伝えたいし、メディアも運営したい。欲張りにいくつもの夢を追いかけている僕にとっても、重要なテーマだった。


「夢を追う」だなんて壮大な表現をしたけれど、ここで一曲聴いて深呼吸をしましょう。

‎晴る日 - Sachiの曲 - Apple Music

Sachiの"晴る日"をApple Musicで聴こう。2022年年。時間:4:…
music.apple.com

「仕事のために生きてるわけじゃないですもんね!」

明るい笑顔でそう話してくれたのは、長崎市で会社員として働く野田葉月さん。大学時代に音楽活動をスタートした彼女は、いまもSachiという名前で音楽活動を継続中。会社員と歌手、二足のわらじをナチュラルに体現する彼女のストーリーに迫りました。

青と緑のコントラストが最高でした!

野田さんは野母崎出身の24歳。生後しばらくは東京都で暮らしていたものの、4歳の頃に家族とともにUターン。長崎大学に在籍中だった2021年、SNSに掲載された歌唱中の動画がRAINBOW MUSICのリーダー・NiNiさんの目に留まり、Sachiという名前で音楽活動をスタート。会社員となった現在も、休日を中心にライブに出演するなど活動を継続中。


ステージに立ったきっかけは、おばあちゃん

野田:話しているときも撮りますか? いま、全然Sachiっぽい服装じゃないんですけど……。

——今日は会社員・野田葉月と歌手・Sachiのどちらの話も聴かせてほしいから、Sachiモードは後半にとっておこう! とは言いつつ、まずは少女・野田葉月が初めて歌を歌った頃の話から聞きたいと思っていて……。

野田:実は「この日が最初!」という日は覚えていないんですけど……高浜海水浴場だったかな、当時は小学校1年生とかだったと思います。おばあちゃんがコーラスをやっていたバンドのライブに参加させてもらって、持ち歌2曲を歌ってました。

——バンドのボーカル! 持ち歌ってどういうのを歌ってたんだろう?

野田THE JAYWALKの『何も言えなくて…夏』と、Queenの『I Was Born To Love You』です。小学校1年生の女の子が(笑)。

——渋い!(笑)

野田:バンドに馴染みのある曲をずっと聴いてたので、私もそういう曲しか歌わなくなっちゃって。基本的に昭和歌謡だったんです。

——前の取材のときは、おばあちゃんがマリン(江川町)のホワイトサウンズで働いてたって言ってたよね。練習もそういうところに集まってた?

野田:以前は野母崎にもスタジオがあったので、そこにバンドメンバーが集まって練習してました。あくまでバンドの練習がメインなので、私はすきま時間に歌わせてもらうくらいのスタンス。友だちと遊びたい気持ちもあったけど「いつ歌えるかわからないから、ここにいなきゃ!」ってチャンスを伺ってましたね。

あの頃はとにかく歌うことが大好きで、ずっと言ってました。「大きくなったら歌手になるんだ」って。

時の流れは、人も気持ちを変えていく。

「運命を受け入れた私」と「まだ歌いたい私」

——ずっと「歌手になりたい」という想いは続いてた?

野田:実は高校生のとき、ある事務所の方から「スタジオに遊びに来ない?」というお話があったそうなんです。大学に入学してからそれを知らされたとき「(歌手に)なりたかったのに!」という気持ちのピークが来てしまった。

——親御さんのところで止まってたんだね。僕が同じ立場にいたら親子喧嘩してるかも。

野田:若干なりましたね(笑)。なんで言ってくれんやったとって。ただ、それと同時に「あぁ、やっぱりその道は違うのかな」と思う自分もいたんです。勉強もしないといけないし、ひとり暮らしをしている家から野母崎に帰るのも大変だし……それからレッスンに通う回数も減って、どんどん音楽との関わりが薄れていきました。

——いまの話を聞いてると、音楽が嫌いになったとか、他にやりたいことができたような感じじゃなかったのかな。「これが運命だ」と受け入れながらも、どこか不完全燃焼な感じが残ってるような……。

野田:そうなんですよ、だから難しくて。まだ歌いたい、でも現実的じゃない。そんな葛藤を周りに相談していたタイミングで、NiNiさんからメッセージをいただいたんです。

運命を変えたのもまた、運命だった。

——「受け入れたはずの運命」が覆される瞬間だったわけですね。

野田:自分の中でいろいろ悩んだ時期を経てからのお話だったので、嬉しかったですね。チャンスだと思いました。音楽一本で食べていこうとは考えてなかったけど、歌うのは好きだから。そういう場をいただけるのであればやりたい、という感じでした。

——その温度感は伝えてた?

野田:話してたと思います。就職もどうなるか分かんないし、続けられるかも不透明。ただ、最初のオファーは「歌ってほしい曲がある」ということだったので「歌わせてもらいます」とお答えしました。

NiNiさんが「その後のことは一緒に考えよう」と言ってくれたことも大きかったし、だからこそ「やっぱり仕事しながら続けよう」と決心できたんだと思います。

環境に恵まれてるよね、としみじみ。

仕事は人生を彩るための手段にすぎない

——就職面接のときに、音楽活動のことをしっかり話されていたとか。

野田:そうですね……そうなんですけど。実は私、そのために就活をやり直したんです!

——えぇ!? てっきり、就活中に決心したものだとばかり思ってた。

野田:内定いただいてたんです。希望してた業界だったし、これで就活が終わるんだったらいいとさえ思ってました。でも、音楽活動をすることは伝えておかないとなと思って内定先に連絡をしたら……。

——NGだったんだ。

野田:「表に出る活動はしてほしくないです」と言われました。それでも諦めたくなかったので、一からやり直すことにしたんです。そのとき出逢ったのが、いま働いている会社です。申請さえすれば副業OKの会社で、面接のときに「うちは社員の挑戦を後押しする会社だから、全然やっていいよ」と言われました。本当にいい会社で、自由にさせてもらってます。

——僕もいまの会社を受けたときの面接で「いいよいいよ、全然やって!」みたいに言われたなあ。従業員が副業をすることでのリスクも少なからずあるんだろうけど、寛容な会社に就職できた僕たちはラッキーなのかもしれないね。

野田:私のマインドは「仕事のために生きてるわけじゃない」。やるべきことはやって、お金はいただいて、それをどう使うか。休みの日に歌える、ショッピングができる、おいしいものを食べられる。それがいまの私にとって、一番の幸せだと思ってます。

仕事は人生を彩るための手段にすぎないし、どうせなら楽しく働ける職場がいいなって。そういう意味では、いまの会社がぴったりはまってるんです。

——二足のわらじは、別に「お金×お金」じゃなくてもいいはずだよね。

毎日を楽しく過ごせたらオールオッケー!

インタビューの終わり、結婚や出産といったライフステージの移り変わりに「多少の不安はある」とこぼしていた野田さん。けれども、彼女はきっと、そのたびに悩みながら自身の答えを見つけていくだろう。そう思わせる言葉を、『晴る日』の中でこのように紡いでいた。

目的地は同じでも 辿る道はいつも違う

今日は近道して 明日は遠回りして

たとえ道に迷ってしまっても

それが大事な時間だったり

決して無駄なんて事はない

この時間を大事にしたい

ふとした時に 嘆き俯いてしまうよ

涙をこぼしても

全て結果オーライ 全部正解だ

『晴る日』(Sachi)の歌詞より

人は小さい頃に抱いた夢を諦めるとき、心の奥に大事にしまう。大人になって描きかけた未来に「私なんか…」と身を引いてしまう。どこまでも謙虚で慎ましい佇まいは、実に日本人らしく、これはこれで美しいとさえ思えてしまう。

けれども「休みの日くらい好きにさせてくれよ!」なんて泥くさい野心を抱いたっていいはずだ。そんな小さな志に、誰しもの内側に隠れているB面に、寛容な社会であってほしいと思うのだ。

彼女が夢と現実の狭間で悩みながら見出した答えは、飾らない等身大の歌声は、ときに誰かの心を動かすだろう。僕もその一人だ。


ご協力いただいた依楓庵さんの落ち着いた空間。
ミニチュアがかわいい。
海に浮かぶ船の白を探す時間。
畳ですっかりリラックス。
『晴る日』の歌詞を思わせる脇岬海水浴場。
まだまだ道半ば、夢も幸せの定義もきっと変わっていく。

今回の取材にご協力いただいた野田さんですが、歌手・Sachiとして10月1日(日)に行われる長崎市南部地区最大のイベント・七歌祭(ナナフェス)への出演が予定されています。ぜひ、彼女の歌声に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

イベント名七歌祭(ナナフェス)
開催日時2023年10月1日(日)10:00〜18:00
出演時間10:35頃
(※出演時間等は変更となる場合がございます)

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長野 大生

長野 大生

Nambu Wave 編集長

1994年・土井首生まれ。瓊浦高校卒業。会社員として働く傍ら、長崎市を拠点にWebメディアや刊行誌の執筆を手掛ける。2021年には「長崎を舞台にショートショート塾」(長崎伝習所塾)を企画し、塾生とともにショートショートアンソロジー『道に落ちていたカステラ』を発行。2023年現在、ひとり出版社・移動書店「しっぽ文庫」を小さく営んでいます。

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